未知との遭遇

子供のころう電車も走らない田舎の島で育ったものとしては、島外というのは遠い異国の地のように思えた。
港で友達と話ながら、親に乗せてもらい海岸線を走る車の中から見える海は果てしなく広く、船で1時間ほどで着く本州でさえ遠い地に感じた。
もちろん、島外に出ることはあったし、電車に乗ることも祖父母の家を訪れる時は乗ったのだが、子供のころの自分にはとても広い世界で、あまりにも知らないことが多すぎた。
学生時代に島を出て、一人で知らない街に住むようになっても、電車に揺られながら眺める車窓の外に立ち並ぶ建物の明かりにの下に、知らない人たちが生活をしていると思うと不思議な気持ちになった。

成長して、いろんな知識や経験によって知ることも増えたり、情報などは今ではインターネットという手段で、簡単に世界中から手に入ってしまう。知らないことも、容易く調べたりできる。ある意味、世界が狭くなったと感じてしまうこともある。

歳をとるにつれ世界が狭まっていくように思えるのは、一種の傲慢さで、結局、何も知らないだけなのだと思い知らさたりする。

こういう仕事をしていると、やはりいろんな方とお話する機会がある。この仕事をしていなければ出会わない方はたくさんいらっしゃるだろうと思う。
例えば違う仕事をしている、年代が違う、知らないところで生活している。ただそれだけで、もう知らないことだらけなんですね。
戦後の話や、志摩では当たり前のような漁師さんの話や、海女さんの話、お医者さんや警察官、違うお店の方の話、ありとあらゆるお仕事があって、いろんな方がその中で経験してきて、今、生活されている。すごいことだなあと最近、よく思う。

未知の世界なんですね全てが。
なんとなく島にいた子供のころを思い出してしまいました。
まだまだ、外の世界は広がっているんだと。
shu cafe が島みたいです。でもちゃんと世界と繋がっているんだとも思う。別に大層な世界じゃないかもしれないけど、こうして知らないことを感じ取れるのはいいことだなあと思う。

この仕事をしていてよかったなと思うのは、いろんな方の世界に触れることができるということだと思う。
未知との遭遇です。