記憶

ちょうど席に着いたと同時ぐらいに、さっきまでなんとか傘がなくても歩けるぐらいの静かな雨だったのが、建物の屋根や地面に激しく叩きつける音で周囲を全て包み込むような激しい横殴りの雨に変わった。

やっぱり立ち寄ってよかった、とその激しい雨の中を必死になって走っているような車を窓の外に見やりながら舞は思った。

塾へ向かうのが億劫になり、母親の車での迎えまでの時間つぶしに図書館に立ち寄ったまではよかったのだが、この時期の図書館の閉館時間が予想外に早かった。どうしたものだろうかと、とりあえずショッピングセンターに向かって歩いていると小雨がぱらつき始め、ちょうどこの店の前を通りかかった。

席につき、少し濡れてしまったカバンや服を拭いていると水とメニューが運ばれてきた。ちらりとその運んできた男の顔を一瞥する。一瞬、怪訝そうな顔した男はすぐに笑顔に戻り何もなかったかのように戻って行く。
あの時と同じ人だ、とその男の後ろ姿を目で追いかけながら舞は思う。
メニューをパラパラと捲りながら、ぐるりと店内を見渡してみる。あの頃と比べてみて、少し店内の装飾物が増えて、家具の配置などが少し変わったぐらいなように思う。後、男ともう一人いた女の店員も変わっていた。
舞がこの店に初めて訪れたのは小学6年生だった。その当時、仲の良かった理恵子に連れられて来たのが最初だった。子供同士でこんなお店に入るのは舞にとっては憚られた。親とも来たことがないお店なら小学生だったら当然かもしれない。
理恵子は少しクラスでも浮いているような子だった。だからといって変だとか、嫌な性格だとかではないのだが、理恵子の親は町医者で少し裕福だったからか、舞のような普通の家庭で育った子には感覚が合わないところがあった。普通が違うのだ、理恵子とその他の子では。
そんな理恵子となぜか舞は家が近いということもあってか、6年生頃よく一緒に行動をともにしていた。
理恵子がなぜこの店に入ろうとしたのかは未だに分からないのだが、図書館の横にある公園で遊んでいた帰りに理恵子は舞を連れてこの店に入った。小銭しか持っていない子供にとってはこんなお店でも高級店に思えてしまう。スーパーなんかで駄菓子を買うのとは訳が違う。
二人でケーキを一つずつとジュースを一つ注文した。緊張していた舞は、横に座る理恵子をそっと盗み見した。理恵子の顔も少し強張った感じで今まで見たことのない顔をしていた。
そんな理恵子の顔を見て、舞は少し安心した。
しばらくすると男の人がケーキとジュースを運んできてくれた。ジュースは一人分を小さなグラスに分けて二つになって運ばれてきた。それを見て舞は理恵子と顔見合わせて笑顔になったような気がする。気をきかせてくれた男の店員に二人で礼を言うと、男は照れているように笑った。
「初めての小学生のお客さんだよ」とその男は言って笑った。舞と理恵子も男につられ同じように笑った。
それから何度か理恵子と二人でその店に行った。そこの店主らしき男とも結構、話すようになりカウンターで長い間時間を過ごすこともあった。
しばらくすると、小学生の女の子がそんなお店に子供同士というのも目立つし、狭い町ということもあってすぐに親にばれて行けなくなった。
なぜ行ってはいけないのか正当な理由はなかった。ただ子供同士でそういうところに出入りするのは好ましくないということだった。
それから舞はこの店に来たことがなかった。中学になると、理恵子は隣町の私立の中高一貫の学校に通いだしたので、地元の中学に通う舞とは自然に疎遠になった。高校になり舞も隣町の公立の学校に通いだし、バスで理恵子の姿を見かけることもあったが、二人とも声をかけることもなかった。

運ばれてきた湯気の立つ温かそうなミルクティーをかき混ぜながら舞は思う。恵理子はあれからここに来たことがあるのだろうか。あの男は初めて来た小学生のお客を覚えているのだろうかと。
数年しか経っていないあの頃自分と現在の自分の差を舞は感じる。理恵子と来た時にこの場所で感じたことと、今、ここで考えていることの差があまりにもありすぎて舞は可笑しくなった。
そろそろ決めなくてはいけないのだ。ただ何も分からずにここに連れて来られて、訳も分からずに来れなくなってしまった自分ではもうないのだ。ちゃんと決めようと舞は思った。
帰り際に思い切って舞は男に訪ねてみた。
「覚えてますか?」
男は最初に見せた怪訝そうな顔して、申し訳ないような顔して覚えていないと謝った。
舞はいつか恵理子と二人でもう一度この店に来て、もう一度この男に聞いてみようと思った。「覚えてますか?」と。