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急に周りの音が消え、雨音だけが残ったような気がした。
店内にさっきまで邪魔にならない程度に流れていた音楽が止まったのを境に、隣の学生風な若い女子二人組の耳につく笑い声が止み、カウンターで話し込んでいた年配の客と店員との会話も途切れた。
店内の音が止むと、天井を激しく叩く雨音、濡れた道路を滑るように駆け抜けて行く車のタイヤの音が、増幅して香織の耳の奥底へと飛び込んできた。
このまま雨に包まれれてしまえばいいのにと香織は思う。

目の前で黙り込んでしまった亮介は何も聞こえてないかのように、ただ窓の外に映る横殴りの雨を焦点の合っていないような目で見つめていた。
例えば服装を変えるだけで中身が変わらないだけと言えばいいのだろうか、亮介がのらりくらりと話すことはいつも結局は本質的なことは同じで、こうして話し合っても辿りつくところはいつも同じになる。
どうしてなのだろう。どうして香織は亮介とこうして一緒にいるのだろうかと不思議になる。窓の外を眺める亮介の横顔をまじまじと眺めてみる。悪びれた様子もなく、ただ無邪気にただ何も考えずにいるように見える。
「お水よろしいですか?」
テーブルの横にさっきまでカウンターで客と話し込んでいた店員が、よく冷えていそうなガラスのボトルを持ち立っている。香織はグラスの口を手でふさぎ、首を横に振りながら無言で断る。亮介は逆に無言で空になったグラスを店員の方へ差し出していた。
気付くと店内にはさっきとは違うどこか雨降りの日には似合わない陽気なボサノバ調の音楽が流れ、隣の席の学生風な二人組もまた会話を再会していた。さっきまでと同じように均一な音で店内は支配されていた。
同じこと言っているのは自分なのではないのだろうか、その均一な音の世界で急に香織は思った。実際叩いたこともないドラムの前で、同じ個所を必死に叩き続ける自分の姿がなぜか今、頭の中で鮮明に思い浮かんだ。
同じ所を叩き続けても同じ音しか返ってこない。強弱で音の大きさを変えれるかもしれないが、本質的な音は同じなのではないのだろうか。亮介にとってはいつも同じところを香織は叩いていたのかもしれない。
「どうかしたの?」
亮介が窓の外から、視線を黙ったままの香織のほうへ戻しながら聞いてくる。
「亮介はさ、どこまで先のこと考える?」
「何それ?どこまで先のことっておじいちゃんになる頃までってこと?」意味が全く分からないというように首をすくめ笑いながら亮介は言う。
「じゃあさ、今度はどんな音が出るのか試してみたい」香織が真剣にそんなことを言うものだから、亮介はさらに分からないという顔になって今度は困った表情になった。
ごちゃ混ぜに混ざり込んだ店内の音が、今度はいろんな大きさや種類になって香織の耳から身体の奥底のほうへ流れ込んできたように思えた。その一つ一つに耳を傾けるのは不可能だろうけど、違いを感じ取れることができるようになれればいいと香織は思った。
窓の外が少し明るくなってきたと思ったら、さっきまでの激しい雨が嘘のように止んでいた。包まれるように閉じ込められたいと思っていた気持ちが、雨が上がっていくように香織の中から消えていった。