あー

この間、仲良くして頂いている常連のお客様からご指摘がありました。

― cafe日和 最近よく更新してるけどどうしたん?
(今年は気合です)
― 話の最後、自分で突っ込んで締めるパターンばかりじゃないか。
(その通りです)
― 普通、お店のブログとかはお店の雰囲気とか分かる感じなものが多いけど、shu cafeのはそんな感じではない。個人的過ぎる?
(全くその通りです)
― もっと簡単に起こったことを短く書くのもいいんじゃないかな。
(うーん、そういうのは苦手かもしれない・・・)

いやー、全く、的確な、客観的なご意見に何も言い返す言葉がありませんでした。
その通りだなあと自分でもすごく思います。こうして書いていると途中まではよいのですが、最後の方になると着地点を見いだせないまま、いつも同じ所に強引に落ち着かせている感じになっている。うー、ワンパターンだなと自覚はしているんですがダメです。
こうして言って頂けるのは恥ずかしいけど、有難いですね。見てもらってるわけですからね。
でも考えてみて結局、自分に出来ることしか出来ないのだ、とちょっと開き直ることにしました。
取りあえず今年は書いてこうと。
内容はともかく書いてこうと。
でもまたいろんなご指摘を皆さまにして頂けると有難いです。ちょっとした変化が起こるかもしれませんから。
これからも shu cafe の cafe日和 をよろしくお願いいたします。

「モノ」

ずっと同じものだったランチセットのデザートを、やっと重い腰を上げるように新しくした。
変えるのが遅すぎるぐらい同じものを作り続けていた。怠慢以外なにものでもないような気がする・・・。
新しくするにあたり、器もちょっとイメージを変えたいなと思い、結構いろいろ悩んだすえに選んだ新しい器がこの小さいグラス。

新しいものをおろす時はいつも少し緊張する。
オープン前に荷物が届けられ、他のものと一緒に食器洗浄機に入れて洗い、買い出しに行ってからそれらを拭いていっている時に気づく。一つすでにヒビが入ってしまっていることに。
こういうことは、今までにも何回かあった。でも慣れることはなく少し悲しい気持ちになる。せっかくこれから使われるはずだったものが、一度も使われることなく終わってしまうことに切なくなる。
道具とか、こういった食器とか何でもそうかもしれないけど、使われてなんぼだと思う。
使われるためにあるのに不注意で、使われなくなってしまうのは何だかその「モノ」にたいしてとても失礼なことに思えてしまう。
「モノ」を大事に選んで使いたいと思います。
新しいデザートもよろしくお願いします。
「豆乳ミルクプリン」です。
写真の色見が少し悪いですが、よい感じに仕上がっています。

記憶

ちょうど席に着いたと同時ぐらいに、さっきまでなんとか傘がなくても歩けるぐらいの静かな雨だったのが、建物の屋根や地面に激しく叩きつける音で周囲を全て包み込むような激しい横殴りの雨に変わった。

やっぱり立ち寄ってよかった、とその激しい雨の中を必死になって走っているような車を窓の外に見やりながら舞は思った。

塾へ向かうのが億劫になり、母親の車での迎えまでの時間つぶしに図書館に立ち寄ったまではよかったのだが、この時期の図書館の閉館時間が予想外に早かった。どうしたものだろうかと、とりあえずショッピングセンターに向かって歩いていると小雨がぱらつき始め、ちょうどこの店の前を通りかかった。

席につき、少し濡れてしまったカバンや服を拭いていると水とメニューが運ばれてきた。ちらりとその運んできた男の顔を一瞥する。一瞬、怪訝そうな顔した男はすぐに笑顔に戻り何もなかったかのように戻って行く。
あの時と同じ人だ、とその男の後ろ姿を目で追いかけながら舞は思う。
メニューをパラパラと捲りながら、ぐるりと店内を見渡してみる。あの頃と比べてみて、少し店内の装飾物が増えて、家具の配置などが少し変わったぐらいなように思う。後、男ともう一人いた女の店員も変わっていた。
舞がこの店に初めて訪れたのは小学6年生だった。その当時、仲の良かった理恵子に連れられて来たのが最初だった。子供同士でこんなお店に入るのは舞にとっては憚られた。親とも来たことがないお店なら小学生だったら当然かもしれない。
理恵子は少しクラスでも浮いているような子だった。だからといって変だとか、嫌な性格だとかではないのだが、理恵子の親は町医者で少し裕福だったからか、舞のような普通の家庭で育った子には感覚が合わないところがあった。普通が違うのだ、理恵子とその他の子では。
そんな理恵子となぜか舞は家が近いということもあってか、6年生頃よく一緒に行動をともにしていた。
理恵子がなぜこの店に入ろうとしたのかは未だに分からないのだが、図書館の横にある公園で遊んでいた帰りに理恵子は舞を連れてこの店に入った。小銭しか持っていない子供にとってはこんなお店でも高級店に思えてしまう。スーパーなんかで駄菓子を買うのとは訳が違う。
二人でケーキを一つずつとジュースを一つ注文した。緊張していた舞は、横に座る理恵子をそっと盗み見した。理恵子の顔も少し強張った感じで今まで見たことのない顔をしていた。
そんな理恵子の顔を見て、舞は少し安心した。
しばらくすると男の人がケーキとジュースを運んできてくれた。ジュースは一人分を小さなグラスに分けて二つになって運ばれてきた。それを見て舞は理恵子と顔見合わせて笑顔になったような気がする。気をきかせてくれた男の店員に二人で礼を言うと、男は照れているように笑った。
「初めての小学生のお客さんだよ」とその男は言って笑った。舞と理恵子も男につられ同じように笑った。
それから何度か理恵子と二人でその店に行った。そこの店主らしき男とも結構、話すようになりカウンターで長い間時間を過ごすこともあった。
しばらくすると、小学生の女の子がそんなお店に子供同士というのも目立つし、狭い町ということもあってすぐに親にばれて行けなくなった。
なぜ行ってはいけないのか正当な理由はなかった。ただ子供同士でそういうところに出入りするのは好ましくないということだった。
それから舞はこの店に来たことがなかった。中学になると、理恵子は隣町の私立の中高一貫の学校に通いだしたので、地元の中学に通う舞とは自然に疎遠になった。高校になり舞も隣町の公立の学校に通いだし、バスで理恵子の姿を見かけることもあったが、二人とも声をかけることもなかった。

運ばれてきた湯気の立つ温かそうなミルクティーをかき混ぜながら舞は思う。恵理子はあれからここに来たことがあるのだろうか。あの男は初めて来た小学生のお客を覚えているのだろうかと。
数年しか経っていないあの頃自分と現在の自分の差を舞は感じる。理恵子と来た時にこの場所で感じたことと、今、ここで考えていることの差があまりにもありすぎて舞は可笑しくなった。
そろそろ決めなくてはいけないのだ。ただ何も分からずにここに連れて来られて、訳も分からずに来れなくなってしまった自分ではもうないのだ。ちゃんと決めようと舞は思った。
帰り際に思い切って舞は男に訪ねてみた。
「覚えてますか?」
男は最初に見せた怪訝そうな顔して、申し訳ないような顔して覚えていないと謝った。
舞はいつか恵理子と二人でもう一度この店に来て、もう一度この男に聞いてみようと思った。「覚えてますか?」と。

何トマト

トマトソースを作る時にホールトマトを使います。
これが普通なんだと思っていました。
いや当然だろうなんて思っていました。昔、教わった方もそうであったし、レシピ本なども見てもホールトマトだと書いてあるのでそうなのだと。
ホールトマトだと作る前にトマトを潰さなくてはいけなくて、ハンドブレンダーで潰しているとスタッフからカットトマトを使ったらいいんじゃないですか?と言われた。
確かにスーパーなどの売り場にはホールトマトと並んでカットトマトは売られている。
そう、いつも隣、もしくは上下にあるカットトマトを目にしながらいつもホールトマトを買っている。カットトマトはなぜ存在しているのかなんて想像したこともなかったんですね。

世の中、便利になりました。
インターネットで大概の事は調べることができます。検索するとすぐに何かしらの答は見つかる。
本当に、いろんな方やサイトが、どうしてこんなことまで丁寧に答えてくれるのだろうかと言うくらい一つのことを検索するだけでもいろんな結果が出てくる。
そしてホールトマトとカットトマトの違いも調べてみました。
そしたら、同じように思っている人が結構いるのだと分かった。同じような質問をネット上でしていて、その質問に対してまたいろんな人が答えているのを見ました。
でも・・・、なんだろう結局、きちんとした定義みたいなものはないような気がします。いろんな答えはあったのですが、どれも正しいような、でも結局好みの問題みたいな感じになっているような。
調べた割には、結局、トマトソースを作るのには多分、これからもホールトマトなんだろうと思います。
「ホールトマト」と「カットトマト」
最大の違いとはなんぞや。誰かにきちんと説明をして頂きたいですね。

ずっと

学生の頃の記憶ってやたら覚えていることが多いのは、一番多感な時期だからなんだろうか。
もちろん今でも、いろんなことを感じて、いろんなことを見ていると思うが、あの頃に見たもの感じたものとは全く別ものだと思う。
それは歳を重ねたからで、逆に現在感じていることを過去には感じることはできなかった。歳相応の感じ方と見方なんだろう。
そんな学生時代に付き合った友達っていうのはずっと会ってなくても、連絡さえ取り合っていなくても、急に再会しても話せるんだなあとこの間思いました。
先週末に中高と一緒だった友人が奥様と訪ねて来てくれました。
彼とはつい最近、Facebookなるもので連絡らしきものがとれるようになり、もしかしたらこちらに来るかもしれないということであった。
彼と会ったのも10年以上前に、それもたまたま名古屋駅で偶然に会ったのが最後。きちんと会話らしきものを交わしたのはもっと昔のことだと思う。
そんな関係でも、最初はさすがに歳をとりなんだか気恥ずかしさみたいなものもあったが、すぐに普通に話せるようになった。
なんか変わらないなあ、と感じた。彼も自分も。もちろん変わったことは数えきれないくらいあるだろうし、知らないことだらけなのかもしれないが、根本的な関係が変わっていないということなんだろうと思う。
これからもずっと多分、こういう感覚は変わらないんだろうなと感じました。
地元ではないので中々難しいのですが、学生のころの友人は現在、3名ほどshucafeに来てくれています。
でも、これからも続けていけば、もうちょっとは増えるのではないかと期待しております。

スタンダード

スタンダードなものに惹かれる。
何がスタンダードなのかと聞かれると答えることはできないけれど。
多分、スタンダードとスペシャルはある意味同じことなのかもしれないなと思ったりします。
その他大勢にとってのスタンダード。誰かにとってのスペシャル。その逆も然り。

shu cafe のチーズケーキのスタンダードは「NY.ベイクドチーズケーキ」だと思っている。
他の人からすれば違うのかもしれないけど。
ずっとこのケーキはあって、これからもあるのだろうなと思う。そんなのがスタンダードのような気がする。
そんなチーズケーキになってほしいなと思うのが新しく作った「shu cafe チーズケーキ」

「NY・ベイクドチーズケーキ」と似たような材料・分量で作っているのですが仕上がりかなり違っています。
濃厚なインパクトを残す「NY.ベイクドチーズケーキ」に対して、濃厚だけど優しさがある「shu cafe チーズケーキ」
そんな対をなしているチーズケーキのような気がします。
味わいが優しい、口当たりも優しい、ソフトなイメージに仕上がっています。個人的にはこちらの味わいが好みかもしれないとこっそりと思っています。
なので、できれば shu cafe のスタンダード的なケーキになればいいなあと思っています。

近々、登場の予定です。shu cafe でこのチーズケーキに出会ったら迷わず注文してください。よかったらですが…。
よろしくお願いします。

1/2

ガラスの向こう側にもまだ店が続いているような錯覚に陥る。
ゆったりと奥行がとられた木のカウンターの、少しひんやりとした感触を頬に感じながら正人は思う。
この店のカウンター横には大きな額縁のような窓が設けられていて、日が落ちると暗闇に店内が写り込む。そこには、こっちに向かって頬をカウンターにつけたもう一人の正人もいる。自分と向き合っているのが少し可笑しくて正人は顔を上げる。
そして珈琲を口にしていないことに気づく。何回目からだろうか自然に正人の珈琲には、砂糖とミルクが付いてこなくなった。いつも珈琲を頼むお客が、いつも出される砂糖とミルクをそのままにしていると、何も言わずに出されなくなるものなのだろうか。たまに正人は気分でミルクを入れたりするのだが、こうして最初から出されなくなると、なんとなくミルクだけほしいと言いづらい。
少し冷めてしまった珈琲にミルクを入れたいなあ、と思って口にカップを運んだ時にふいに声をかけられた。
「お仕事帰りですか?」
いつも黙って黙々とカウンターの中で仕事をしている30代半ばぐらいの店員が声をかけてくる。
正人以外にカウンターには誰もいないのだが、一瞬キョロキョロと周りを見てから改めてその店員のほうへ目をやりながら応える。
「ええまあ」
この三日間、同じ時間にカウンターの同じ席に座る客が珍しいのか、暇そうにしている正人を気の毒に思ったのか、初めて声をかけたが生返事な答しか返ってこないことに戸惑った店員の顔が、逆に正人を気の毒にさせ言葉を繋いだ。
「ああ、この近くに会社があって帰り道なもんで」
気を使って正人は答えたつもりだったが、「ああ、そうなんですか」とあっさりとした返事しか返ってこず、そのまま裏の厨房へ店員は消えていった。
今日で三日連続同じ時間に来ている。自分でも馬鹿だと正人は思う。そんなことをしないと自分で自分の背中を押せないのかと。

ちょっとした願掛けみたいなものが始まりだった。一か月ぐらい前だろうか、いつも通勤でこの店の前を通るのだが、たまたま会社からこの店を通る直前の大通りの交差点の信号が青だった。普段こちら側の車線は信号が変わるのが早いので時間帯によっては中々渡れない時が多い。大げさだが、正人はいつも赤の点灯を二回ぐらい見ている気がする。
そんな信号の交差点をその日は珍しく待たずに通れた。
気分を良くした正人は、いつも前を見て通り過ぎるだけのこの店にその時初めて入ってみようという気になった。なぜそうなったのかと聞かれるとうまくこたえることはできないのだけれど、その日は入ろうと思ったのだ。
そして帰り、その店を出たすぐの交差点の青く点灯した信号機の真上に三日月がきれいに浮かんでいた。ぼんやりとその三日月を見ながら正人はこの願掛けを思いつく。
これが三回続いたらしてみようと。あの店の行きと帰りの信号が三回連続、青だったらしようと。
ようやくその三日目に今日初めて辿りついた。もう一度暗闇の窓ガラスに映る自分の顔を見ながら正人は思う。もし店を出てすぐの信号が青だったらちゃんと自分からするのだろうかと。
最後に電話してからどれぐらい経つのだろうか。清美からの取らない電話がかかってこなくなってどれくらい経つのだろうか。その間自分は何をしていたのだろうか。
考えたところでどうにも自分が悪いのだと。正人から連絡をとらないことにはどうしようもないのだ。さて、後は最後の信号機だけだ。そんなことを思うとまた正人は可笑しくなった。
なんてくだらない願掛けなんだろうなと。これぐらいで連絡することができるのなら、最初から素直にしておけばよかったのにと思う。でもこうして期待している自分がいるのも正人には分かる。青だったらいいのに。
二分の一の確率がとてつもなくそれ以上に大きい確率に正人は思えた。
席を立ちレジの前へ立つ。さっきの店員が出て来て会計をしてくれる。「いつもありがとうございます」と声をかけられ、まだ数える程しか来ていないことに恥ずかしくなる。でもなぜか悪い気はしなかった。そしてドアを出る瞬間にまた声をかけられた気がした。
「頑張ってください」
そんなはずはないと一瞬ちらりと正人が後ろを振り返ると、さっきの店員がこちらを向いてお辞儀をしている姿があった。
確かめることもできずにいると、店員を覆い隠すかのようにドアが静かに閉じた。